昭和52年10月18日 月例祭
皆さんこの度の十年の記念の御大祭を迎え、あの様に麗しく奉仕をさせて頂きました。記念祭を頂きますまでに、皆さんもご同様に記念祭記念祭という御用奉仕。様々な面で精進なさいましたこと、確かに神様の御用に使うて頂くのですから、疲れるはずがあってはならんのですけれども、やはり疲れます。私ももう明くる日はまあそれこそごっとりしてしまいました。だからもしこの記念祭を頂いて、こう疲れが出なかったと言うならば、言うならば記念祭にそれだけの思いを掛けなかった人か、でなかったら、特別なお徳を受けておる人かという事になります。
[ここの座敷で歌わぬ人は、歌の上手かかさかけか]と言う様な歌がありますよ。(笑)だからかさかけの方か、歌の上手の方かなんです。皆さんの親だから。私と同じに疲れておる。それでもう昨日一昨日あげなお祭を頂いて、一家中でもう親戚中でぐるみで、おかげを頂いたから、もう今日当りはご無礼しようと言う様な人達の中に、やっぱりまた新たな事さらな事として、こうしてお参りがでけておられる。私は金光様の御信心はそれだと思うんですね。
もう本当に私はいつもの事ながら、もう神様の働きには恐れ入ってしまうわけですけれども、まあだまあだ恐れ入りが足らないと思うんです。今日実は今恐れ入っておる所です。皆さんあのご覧の様に、あの大盛りに二合瓶が沢山お供えしてございましたね。見慣れない酒です。岡山辺りから来ておる酒なんです。今度の御大祭の御直会に、お参りをされた家族に一本づつと言う事だったんです。
お参りをされた家族に一本づつ、だから五百世帯、五百家族もあったらよかろうというので、ある方が五百本お供えなさっておられました。ところが二・三日しましてから、神様からあと二百本の追加を頂きました。けれどもなかなかお供えを催促するわけにはいきませんもんですから、こりゃまあなら、教会でして貰おうと、そいでその事を綾部さんと相談して、しておりましたら又その事をその方が聞いて、折角おかげを頂くならばそのあとの二百本またおかげ頂きましょうと。
「そやったら八百本ちゅうときゃよかったですね」て言うちからある人が言いましたけども。(笑)それほんなこつ八百本ちゅうとったら丁度よかったかもしれんです。所がその四・五十本足りなかったらしいんです。所が実はねああして来とったわけです。御大祭に。まあ六十本余りの、岡山辺りから恐らく五・六人連れだって参った方達がありましたから、恐らくそういう方達が参拝をしてきて、そしてあそこでお届けをしてお供えをしておったから、もうそこにお供えをせんなり積んであったわけです。
何か分からなかった。それで今朝、今日改めて見た所、それも久富先生がしなさるけん、ほんな今気が付いたらしいんです。そいで慌てて今日の大盛りに載った次第でございます。そして神様の働きとは恐れ入ってしまうなと言う事です。今日私北野の綾部さんに電話をかけてから、今樽をずうっと一升瓶に移しよります。あれが樽酒が長く入れるといけませんから。中村さん北野の中村さんが専門ですから、自分でもう全部瓶から道具から一切持ってきて、あの今詰めて頂いております。
まあだ大分詰めんなりません。だから二合瓶をあのわけて貰って、その二合瓶に詰めといて、「これは樽酒だから早よあがって下さい」と言うて、あの貰い損なった頂き損なった人達にあのお分けしようと言う事になっておったんです。所があのその瓶が間に合わず、来ておりませんでしたから詰めんでおってよかった。そこにちゃんともう実際はきてるわけですね。丁度七百六十本あれば言わば事足りた訳ですけれども、こっちの信心の受け物がちょっと狂っておると、わざわざおかげを頂いておってもそれをおかげにまあしきらなかったと言う事になるわけです。
そんなにも間違いのない、言わば神様なんです。まあ何時もの事ながら恐れ入ります。そしてから今秋永先生が「どういうわけで、その二合瓶てんなんてん持ってきたのだろうか」ちゅうて。「そりゃあんた一升瓶かなんかで、まあ二・六の十二、一斗二升になりますから、そんなら一斗樽なら一斗樽でもよかった訳ですけれども、わざわざ二合瓶に、神様がちゃんと、合楽の御直会の二合瓶がお前がお供えするだけでは足りないからという、言わば働きがそこに感じられます。
あれが一斗樽かなんか一升瓶かであったら、ただ別に神様の有難さと言う事には触れられませんでしたけれども、二合瓶であったためにただ今、今私はそれを気付かせて頂いた。こげんも間違いのない働きがあっておるのに、こちらが頂き得ていないと言う事でございます。今朝から今日の昼の、ここの修行生の方達の研修の時に、色々お話をした事でしたけれども、昨日は合楽会でございました。合楽の方達が昨日はみんな出てきておられまして、「今日はあの末永先生がいつまでもおられるわけではないでしょうから、今夜は一献差し上げたい。
なんかそのおご馳走作っておるから持って来てもいいでしょうか」、「そんなよかどこじゃないですよ」と言うて色々ご馳走持って来て頂いて、まぁおかげを頂きましたが、頂き頂きお話を進めさせて頂くうちに、丁度公子さんが御用頂いておりましたから、途中からもう一時終わって、物運んで来ましたから、あんたも参加させて貰いなさい。そしてあんたも一つお話をさせて頂きなさい。
あちらでの体験を一つもう本当に後から途中から入って公子さんがお話を致しますのに、もう本当に末永先生が、手紙やらお話やらの中では書き得てなかった事、聞き得てなかった事がやはり公子さんの言うならば修行話を、もう涙ながらにそして聞きました。もう皆も本当に感動で「今日の合楽会は素晴らしいおかげを頂いた」と言うて、皆さん丁度夜中一時くらいまでなったでしょう。まあ聞かせて頂いた様な事でした。
もう本当にもう今日こそ、私が懺悔をさせて頂きますけれども、あちらで主人に私はもう本当に、もうこれ以上のことは、もう悪口はなかろうと思う様な事を、しかもこんな事を言うたら、先生が腹かくだろうどうか言うだろうと言う様な事を、もう悪てんばらまき、しかも二日三日じゃありません、ずうっとそれを言い続けた。ところがもう一口も申しませんでした。もう言わにゃ尚腹の立ってこう言うと言った様な事。(笑)
そして「私はもうこのまま内地に帰ってそのまま死んでもよかけん、帰らしてくれ」ちゅうた。最後にはとうとう先生が「そんなら帰れ。その代わりに子供はおいて行け」ちゅうた。子供はおいてばかりは行けんもんだから、それからどういう部屋があるか知らんけれども、こちらから出がけに、皆から寄せ書きを頂いておった。その寄せ書きを開かせて頂いたら、親奥様が書いて頂いておった「神に縋りて」と書いてあった。
もうそん時にね神様には縋らずに先生にだけ縋ったり、又は責め立てたりしておる自分に気付かせて頂いて、もうそれこそ憑いたものが堕ちたように、ものの思い方考え方が変わらせて頂いて、もう「先生と二人でブラジルの土にならせて頂くという腹が決まった」と言う話をねもう涙ながらに話すを聞きました。
しかしほんとに私は思わせて頂きましたが、なら神様がお育て下さると思うんです。ただ合楽でなら、末永先生と同等の信心の修行をしとったら、そう言う事はなかったかもしれんけれども、言わばビルグイ教会の始める早々の頃の事はこう言う事があった。おかげで不思議にまあ十日も致しましたら、どんどん人が助かり出したが、子供が「帰る帰る」と言うた時にはまだ辛抱でけたけれども、家内が「帰る帰る」と言うて泣きたがられた時には、もう私もどうもしようがなかったと手紙には書いてあった。
その家内がです。親奥様の一言で腹が決まって、憑いたものが堕ちた様に腹が決まったと言う様な、これはビルグイ教会が、これからますます繁盛のおかげを頂いて行く事でしょう。言うならばこれからは、南米の生神様とも言われて貰う様なお徳も頂いて貰わなきゃならない。けれども早々の頃にはこう言う事もあったんだという話が、その後から続く者にどれだけの力になるか分からん。
もういろいろお話を聞かせて頂きましたが、成程ある意味においては、元を取って道を開く者はやはり一修行するけれども、こう言う所をです、言うならばおかげにするかしないかという際どう言う所でです。なら末永先生が家内のその言葉に負けてくじけておったら、今日はないです。昨日まあ申しますように、昨日も大変疲れておりました。けれども、昨日丁度善導寺の久保山のお母さんが亡くなりまして、丁度五十日祭にあたっておりましたから、大きな言わばお祭です。
また大事なお祭でもあります。ですから私がここで致しましたから、祭主を仕えました。もうお祭中にもうきつうして、眠気がきてもう本当に相済まんくらいに、疲れておりました。それでも折角私が祭主でお祭仕えておるのですから、御霊の様子ぐらい分からなければ、または御神慮ぐらいは正さしてもらわなければ、久保山さん達にも相済まんことですからと思うて、まあ心を取り直して御霊様の前に出ましたら、何とはなしにシャンと致しました。まあお知らせを頂いたことでございました。
あのお知らせを頂きましたことの中にね、あのサザエという貝がありましょう。「サザエはありにきれ角ばっかり」と言う所角ある貝があれはサザエ。あの中にモツが入ってますよね、あわびなんかにも入ってるあのモツが大変な珍味なんですよね。そのモツを頂くんです、中のジゴですいわゆる。本当に私は昨日繁雄さんに話した事でしたけれども、あんた方が総代になっとる、総代の御用をさせて頂いとるというけれども、総代の御用をさせて頂いておると言う事は、これはもう並々ならぬ大変な事だと。
あちらに行ってもし合楽という国があって、そこに私を中心にした合楽国が言うならあちらに開けてくるならば、やっぱりあちらでも総代の御用を勤めなければならない。ためにはね、ほんとに総代らしい総代に育てておかなければならない。そこで総代には総代に対しての修行があり、神様のお鍛えがある。皆さんもご承知のように、言うならば婦人総代でも務める位の人達ですから、信心はもう出来ております。
けれども人間ですからここは親先生はこう教えられるこう言われるんだけれども、またそれを本当の事だと言う事が分かっているんだけれども、このイライラはどこから来るのだろう。この腹立ちはどこから来るのだろうか、この悲しい心はどこから来るのだろう、分かってると、ここはもう御礼ば言わんならん事は、もうよう合楽理念なんかを紐解いたら分かってる。中には話を頂いて来とるから、ここは御礼を申し上げなければならない様な事柄の中にイライラ、モヤモヤしておるという自分が悲しい位にある。
信心が分かればそうなんです。「心一つで全てを創る」と言われるが、言わばそれとは反対に「心一つでまた全てを崩す」こういう心では、今まで頂いておるおかげが水の泡である事も分かってるんだけれども、どうにもしかたがない。公子先生がもうこげな事言や神様にゃ嫌われる、先生はどげな思いをするか分からん事が分かっとるけれども、言わなければおられない。まあその事は言葉に出して言いませんでしたけれども、「私はもうありとあらゆる悪言雑言を主人の前で申しました」とこう言っておる。
そういう言わばおかげを頂いておっても、なら久保山のお母さんが亡くなるまでの修行の間にです。本当に総代としてこんな素晴らしいお国替え。成程信心が出来ておられたからと言う様なおかげを頂いて、清めた上にも清めて言わばお国替えのおかげを頂いておる。中の腸がこげな汚いものは捨てなければならんじゃなくてから、もうそれがむしろ味わいのある珍味である。もう玄人向きの素晴らしいお御馳走になるように。そういうものを頂いておる御霊がいると言うて昨日ま話した事でした。
だから昨日の御理解はどう言う事かと言うと、先生がああ言われるからそれを信ずるより他にないのです。「目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い」と仰せられるが、目に見えない所のおかげというものが分かった時、分かるて分からないけれど。「目に見えないおかげの方が多い」と言われるから、まあだまあだこんなに御礼を言うとるけれども、是位の事で足るだんじゃないと言う事になるのじゃないでしょうか。
教祖様がああ教えておられるのだから、教祖様がああ言うておられるのであるから、「信心をしておれば目に見えるおかげより目に見えぬおかげの方が多いぞ」と仰せられておるから、知ったおかげあれもおかげ是もおかげと言や、もう一人前のごと思うとるけれども、まあだまあだ御礼の足りない、知らない世界におかげを受けておる事は、どれだけか分からない程しなんだと言う事。
だからこれは教祖様がああ教えておられるのだから、目に見えない所のおかげと言う事を、私共が常にこれを頂き続けておかんと、結局御礼不足になってくるのです。あなたの所のお母さんが、こういうおかげを頂いておる。生前の言うなら灰汁というか、言うならば業というかめぐりというか、そういうものを亡くなるまでにはすっきり、しかも合楽教会の婦人総代として、おかげを頂いておった人であるからこそ。
尚更それを灰汁をしぼって、しぼってしぼり抜くようにして、神様が清まった姿で、御霊の世界に、送って下さってあるという事実をね、あなた方が信じなければならないんだ。そしてお母さんが成程じかじかした時もあっただろう、そげんとこに腹立ててという時に、腹立てる様な事もあっただろうけれども、さあそこが生身である人間なんだ。どうにも仕方がない。
けれども神様が最後の最後まで言うなら、正月の元旦祭に佐田のお婆あちゃんと、それから久保山のお母さんが、仕舞を舞ってある所を頂いた。ですからはあ今年は二人の婦人総代が欠けるんだなと、もうその時からすでに思わせて頂いて、まあお参りをして見えても、お話をするでも何かこう、ああこの人が今年はもう、この世から去って行くと思うたら、なにか知らんけどどうにもしょうのないようなもの、ま感じておったんですけれども、その間に言うならば、仕舞というのは仕える舞いと書いてある。
だから神様に最後の奉仕を最後の言うならば、死に際にも御礼が申し上げれる程しのおかげを頂かせて頂くための働きが、丁度春の御大祭のちょっと前に、佐田のお婆あちゃんが亡くなった。久保山のお婆あちゃんが、秋の御霊祭のちょっと前に亡くなった。もうそれこそ二人仲良う仕舞を舞っておられる所でしょう。それがならどう言う様な心の状態でかというと、生前はあれもあったこれもあった。女の業というかまあ普通で言うならヒステリックの様な所もあった。
それがサザエの角のようなものでもあったけれども、おかげを頂いて神様から絞られるだけは絞られて頂いて、佐田のお婆あちゃんじゃないけれども、「恵美子さん、私が眠らせて頂いてもし目が覚めぬ時には、親先生によろしゅう」と言うのが、あのあそこに最後に一月ばかりの、眠りに付かれる時の前に必ずそれを言われたという。という程しの有り難い心の状態でね、久保山のお婆あちゃんでもやっぱりそうであった。
そういう働きがね、信心しておればこそそういう御用を頂いておればこそ、神様がそれだけの価値をつくっておって下さると言う事が有難い。それが例えて言うならば、生前に出来たらどんなに有り難い事だろうと。これからなら公子先生がもう末永先生に、いわゆる悪言雑言を言う様な事もあるまい。もう私は主人とは「もうそれ以来主人とは思いません」と言うとるです。
夕べは所謂御取次者として、言うならば「金光大神様のお手代わりとして、主人を頂けます」と言う事を昨日皆さんの前でお話をしております。ですからやはり悩むなら悩む苦しむなら苦しむ、その苦しみ抜く所を神に縋って苦しませて頂く所に、これは理屈じゃありません。今まであんな心の状態がです。それこそ憑いたものが堕ちた様に、見る事聞く事が全部味わいの変わった、違う見方が出来るというおかげになってくる。
昨日もそんなふうで疲れておりましたから、丁度十一時のお祭それから霊祭を終わって、まあたくさんな御馳走が出来ておりましたから、御親戚の方達と御一緒にお付き合いをして御神酒を頂きましたから、もう昼の酒ですからもうとても効いて、それで繁雄さんが残って頂いておったから、足を揉んでもらいながら眠ってしまった。そして目が覚めたらもう三時半じゃった。だからもう三十分間すりゃ向こう下がらんならんからこのまま休もうかとまあ思う所ですけれども、いやいやそんな事じゃいかん。
まあ最後の御礼だけはさして貰おうと言うて、また奉仕着を付けて出て来らせて頂いたら、今度御大祭にあっちこっちから若い青年教師の方達が、沢山お参りをしてきておりました。一晩泊まりでもう一日おって、先生の話を頂きたいと言う事で残っておりましたけれども、私がそんなわけで忙しかったから出来なかった。それで末永先生を中心にして研修をしておった。まあだ丁度その半ばでしたから、なら一口でも話させてもらおうかと言うて、三四十分また青年教師の方達にお話をさせて頂きました。
私が皆に申しますのは、「現在なら南米でおかげを頂いておる末永先生の信心がです。どこに言うならばそのおかげを頂く元があるかと言う事を話を聞いてみんな感じられただろう」と言うて私が一人一人それを聞かせて貰いました。これはあのここに修行しております、矢野先生のお父さんが今度御大祭に参拝しておられた。教師代表で玉串を紋付き袴をつけてあげられた方がそうなんです。もう八十才になられるそうです。
私今日も申しましたけれど、今度の御大祭で私は矢野先生との、巡り会いというか出会いと言う事が、一番私は有難いおかげだったと思う。もう手を握って離されない、御直会の時でも。あれは不思議なもんですよ。とても口でだけ「ああ大坪先生盛大なお祭で」と言うとったら、どこまで本当か分からん。けれどもやっぱ手を握って「本当おめでとうございました」と言える時には、心の底からやっぱり言えれる時ですよね。
思うておる時です。一番最後まで残って頂いて最後に私がもう休もうと思いよる所に又あの見えられました。矢野先生が言われるのに、「大坪先生あんたは日本一の弟子ば持っとるですばい」っち、末永先生の話を聞いてそう言われるんです。「もうあれしこ親先生親先生ち言うなら、おかげ頂かんはずはなか」って言われました。と言う様な事をです。その方達若い青年教師の方達はね、親先生を生神様として頂き切っておられると言う所に、あの御比礼があるだろう。
又はある人は合楽理念を見事にマスターしておられて、それを身を持って行じておられる事である。どんなに家内がそれこそ地団太踏んでやかましい言うても、黙って治めて来たと言う所にです。公子さんが親奥様の「神に縋りて」と言う事でおかげ頂いたという、いうなら働きも家内の言葉ではない、末永先生が黙って治める働きがそこに、その様に現れて来たんです。そして今までとは打って変わった、自分にならせて頂いたと言う事なんです。と言う様な事が末永先生がおかげを受けられる事になるわけ。
結局信じると言う事は、神様がまた信じて下さると言う事を伺っておりますが、その信ずる力が強いからだと、と言う様なまあ中々よか所を頂いておりました。なら合楽でも合楽理念をマスターしておるもう知っておる。また日々の生活の上にもそれを現しておるという人はいくらもあります。けれどもね違う所が一つあるんだと。私は昨日疲れて休んで目が覚めたのが三時半だった。
だから今から御広前に出さして頂くと言う事を神様にお願いさせて頂いておりましたら、蛙がね小さい可愛らしい人形を背中に負っている所を頂いた。蛙と言や皆さん御承知のようにもう、私の一番嫌いなもの。だから皆さんが蛙のお知らせを頂かれると、もう嫌な事が起こって来ると言った様な前に頂くわけです。蛙が可愛らしい人形をおんぶしておると言う事はね、私共は何時も絶えずです、恐い事になる元を作って行くか、それこそ神様の一分一里間違いのない働きを、頂き現して行く事が出来る程のおかげを頂くかと、言う事は何時も背中合わせにあると言う事なんです。
こげな事じゃいかん事は分かっとるけども、まちっと頑張らにゃいかんと思うけれども、はあ今日はお参りしようと思いよったばってんと言うて、そういうのが積もり積もってです。言うならば難儀が出来てくる。ここはこうする事が本当ばってん。こげな事ではおかげ頂ききらん事は分かっとるけれども、と言うてそれを積んで行く人。所がどう言う事かというと。人形というのは甘木の親先生が仰っておられるように、信心とは「私は神様の操り人形だ」と、神様が手を上げろと言われれば手をあげる。
足をあげろと言われれば足をあげる。神様任せで来た。そこが神様が安武松太郎先生任せになられておかげを受けられたのが、あの安武先生の大徳であり、甘木の言うなら御比礼である。人形と言う事はそういう意味の時に頂くわけ。言うならば親先生任せ。どんなに例えば場合であっても、南米になら南米でも、それこそどうような難儀が待ち受けておるか分からない様な中に、しかも自分だけではない親子家族してから行けれるというその度胸です。言うならばです。
なら眠たいだからもう神様が、昨日寝とらん事知っちゃるけんで、まあここでもう一息寝ろうという生き方とその眠いとを押して、神様の方へ向こうて来るそこが違う。福岡の支部に私が昔お話し頂いて行っております時分に一晩中お話しをしておる。一番電車で帰ってくる。だから一番電車までもう一時間ばかりあるから、ちょっと横にならせて貰おうと思うて横になったらもうぐっすり寝てる。ゴーちゅうてもう一番電車の音がしよる。はあしもうたと思ったけれども、まあ目が痛く痛いごと開からん時に。
三代金光様のお言葉で「神様が見ておいででございます」と言う厳しいお言葉を頂いた。「あんたが昨日一生懸命御用した事も、眠ってない事も、神様は御承知なんだよ」と言う事は、神様が修行として受けておって下さるんだよと言う風に感じました。だからもうごっそり起きて、すぐ二番の電車で帰って来た事もございましたけれども、そういう時にです。もうよかよかと二時間三時間と寝てしまうと言った様な事ではない。そこんところが末永先生が言われる、いつの場合でも合楽での修行中の時分も。
そこんところが他の者より際だっておったと言う事が、まあ皆さんが言われた様にです、信ずるとか親先生を頂くとか、合楽理念がマスターでけておるとかと言う事の他に、もう一つその事があるんだよと。それだけでは月並のおかげだけれども、「人が人偏なら私は行人偏」と、ちょっと困った事になる事と、有難い事になる事何時も背中合わせにあるんだと。それをこちらへ来る人は所謂難儀を作っておる。こちらへ行く人はそれこそ思いも掛ない夢にも思わない様なおかげ、言うならば一分一厘間違いのない働きが受けられる様なおかげになると言うのは、その辺の所を大事にする人だと言う事でございます。
どうぞ。